2025/04/15 15:45
今ではすっかり日常に溶け込んだコーヒー。朝の目覚めに、仕事の合間に、そして誰かとの会話のきっかけに——そんな存在になっています。
でも、かつてこの黒い飲み物は、「悪魔の飲み物」と呼ばれて恐れられ、実際に禁止された時代があったんです。
豊かな香りと味わいとは裏腹に、その背景には宗教や政治、そして人間の欲や不安が絡み合った、意外とドラマチックな物語がありました。
焙煎された豆が人々を目覚めさせたとき
コーヒーのルーツはエチオピア。その後、15世紀ごろにアラビア半島へと広がり、イエメンで焙煎と抽出の文化が確立します。
イスラム教徒たちは、夜の祈りや学問の時間をサポートしてくれる飲み物として、コーヒーを好んで飲んでいました。やがて都市には「カフワ・ハウス」と呼ばれるコーヒーハウスが登場し、人々が集まって語り合う文化が生まれていきます。
でも、それが思わぬ波紋を呼ぶことになります。
メッカで出された「コーヒー禁止令」
1511年、メッカの知事ハイール・ベグは、「コーヒーハウスは政治や宗教の批判が飛び交う場になっている」として、コーヒーそのものを禁止してしまいました。
つまり、コーヒーは「人々の目を覚まし、考えさせる」飲み物として、支配者にとっては都合が悪かったんですね。
これは一時的な禁止で終わり、やがてオスマン帝国のスルタンによって解禁されるのですが、この事件をきっかけに「コーヒー=危険な飲み物」という印象が一部に残り続けます。
ヨーロッパにもやってきた“異教の飲み物”
17世紀、コーヒーはついにヨーロッパへと渡ります。でもそこでも、「これはイスラムの飲み物で、キリスト教徒にはふさわしくない」といった声が上がりました。
そんな中、ある歴史的な人物が登場します。
「これは悪魔の飲み物ではない」と言ったのはローマ教皇だった
コーヒーを巡るヨーロッパでの議論が過熱していた頃、ローマ教皇クレメンス8世のもとには、コーヒーを禁止してほしいという声が届きます。
「これは異教徒の飲み物であり、悪魔が人々を惑わす道具だ」とまで言われていたんです。
ところが、教皇クレメンス8世は、まずは自分で確かめてみようと実際にコーヒーを試飲してみました。
その結果——
「これはあまりにおいしい。異教徒だけに独占させるのはもったいない。むしろキリスト教徒のために洗礼を与えるべきだ!」
とまで言ったというのです。
このひと言がきっかけで、コーヒーはヨーロッパ社会にも受け入れられていきました。
まさに、味が宗教の壁を超えた瞬間だったかもしれません。
一杯のコーヒーが世界を変えた
かつては「目を覚まさせ、考えさせる危険な飲み物」とされ、時に禁じられたコーヒー。でも、今ではその“目覚め”こそが、多くの人にとっての価値になっています。
カフェは情報が行き交う場所となり、コーヒーは人と人とをつなぐものになりました。
火を通すことで初めて香りが立ち上るコーヒーのように、その文化や歴史もまた、試され、磨かれ、そして育まれてきたのかもしれません。
次の一杯を飲むとき、そこに秘められたちょっと不思議な物語を、ふと思い出してみてください。