2025/05/04 14:07

一杯のコーヒーを口にするとき、私たちは無意識にその香りを楽しんでいます。花のような香り、チョコレート、ナッツ、フルーツ、時にはスパイスや土のような印象まで。その背景には、800種類を超える香り成分(揮発性有機化合物:VOCs)が関わっていて、ワインの数倍、香水にも匹敵するほどの複雑さを持っています。

ここでは、その「香りの正体」に迫りながら、科学と感覚が交差するコーヒーの奥深さをお伝えします。


コーヒーに含まれる香り成分とは?

コーヒーに含まれる香り成分の多くは、空気中に揮発しやすい性質を持った小さな分子の有機化合物です。香りの印象ごとにさまざまな種類があり、それぞれ生成の仕方も異なります。たとえば、ナッツやキャラメルのような香りを持つ化合物群、フルーツや花のような香りを持つもの、さらにはスモーキーやスパイシーな香りをもたらす成分が複雑に絡み合い、コーヒーの多層的な香りを形成しています。

以下に、代表的な香り成分とその特徴を紹介します。


〇 ピラジン類(Pyrazines)

  • 香り:ローストナッツ、麦芽、コーンのような香ばしさ

  • 生成過程:焙煎中のメイラード反応で多く生成される

  • 特徴:中煎り〜深煎りのコーヒーでよく感じられる香り

〇 フラン類(Furans)

  • 香り:キャラメル、トースト、パンの耳のような甘く香ばしい香り

  • 生成過程:糖が熱によって分解される「カラメル化反応」で生まれる

  • 特徴:浅煎りよりも中深煎り以上で香りが強くなる傾向がある

〇 アルデヒド類(Aldehydes)

  • 香り:アーモンドや青リンゴのような、やや刺激的なフルーティさやグリーンな香り

  • 生成過程:生豆に含まれる脂肪酸が分解されて生成される

  • 特徴:量が多すぎると未熟っぽさにつながるため、バランスが重要

〇ケトン類(Ketones)

  • 香り:バター、トフィー、クリームのような濃厚で滑らかな甘い香り

  • 生成過程:主にメイラード反応の副産物として生成される

  • 特徴:香りにコクや奥行きを与える成分群

〇エステル類(Esters)

  • 香り:パイナップル、洋梨、バナナ、ストロベリーなど、明るく華やかな果実の香り

  • 生成過程:発酵プロセス中に、アルコールと酸が結合することで生成される

  • 特徴:ナチュラル、アナエロビック精製の豆で豊富に検出される

〇テルペン類(Terpenes)

  • 香り:ジャスミン、ベルガモット、レモン、ミントのようなフローラル・柑橘・ハーブ系の香り

  • 生成過程:植物自身が持つ自然な香り成分で、特にエチオピアやゲイシャ種などに多く含まれる

  • 特徴:生豆の段階から存在しており、焙煎でその一部が引き出される

〇 フェノール類(Phenols)

  • 香り:クローブ、スモーキー、ウッディ、薬草のような深くスパイシーな香り

  • 生成過程:高温での焙煎や熱分解によって生成される

  • 特徴:深煎りのコーヒーやインドネシア産の豆に多い印象

〇チオール類(Thiols / Mercaptans)

  • 香り:極めて微量でも強い香りを放つ、硫黄系の化合物

  • 生成過程:焙煎によって生成される「焙煎香」に大きく関与

  • 特徴:カップに注いだ瞬間に立ち上がる“コーヒーらしい香ばしさ”に寄与している


香り成分はどうやって生まれる?

コーヒーの香り成分が形成されるプロセスは、焙煎だけにとどまらず、栽培から加工、精製、そして最終的な焙煎に至るまで、いくつもの段階を経て進行します。

● 生豆の段階:香りの「前駆体」が蓄積される

コーヒー豆がまだ生豆の状態でも、すでに香り成分のもとになる「前駆体化合物」は含まれています。たとえば、テルペン類のように植物自身が持つフローラルな芳香成分は、特定の品種(エチオピアやゲイシャなど)で多く検出されます。また、糖やアミノ酸、有機酸、脂肪酸なども、焙煎中の反応の材料となる重要な成分です。

● 精製・発酵:エステル類やアルコール類の生成

ナチュラルやアナエロビック(嫌気性発酵)などのプロセスでは、微生物の働きによって豆の周囲で発酵が起こり、フルーティな香りを持つエステル類やアルコール類が生まれます。

● 焙煎:香り成分の大半が生まれる瞬間

焙煎は、香りの「前駆体」が実際に香りを放つ成分に変化する最も重要な段階です。

主に3つの化学反応が関わります

【メイラード反応】
糖とアミノ酸が加熱により反応して、ピラジン類、アルデヒド類、ケトン類などの香り成分が生成されます。

【カラメル化】
糖分が熱で分解され、キャラメルやトーストのようなフラン類が生成されます。

【熱分解】
脂肪酸やタンパク質などが高温で分解され、スモーキーさ、ウッディな香りを生みます。


香り成分はどうやって調べられている?

コーヒーの香り成分は非常に微量で複雑なため、科学的には専用の分析技術が必要です。

  • GC-MS(ガスクロマトグラフィー質量分析)

  • GC-O(ガスクロマトグラフィー・嗅覚分析)

  • SPME(固相マイクロ抽出)

これらにより、極めて微量な揮発成分の同定と、香りとの関係性が解明されています。


香り成分を意識して焙煎するということ

焙煎士は、香り成分がどのような化学反応から生まれるのか、どのタイミングで生成され、逆にどこで失われるのかを知ったうえで、焙煎プロファイルを組み立てます。

香りをコントロールするというのは、単なる経験や勘に頼るのではなく、成分の理解と反応の設計による“意図的な演出”でもあります。


香りを知ることで、コーヒーの世界はもっと広がる

「このコーヒーはフルーティだな」「どこか花のような香りがする」——そんな感想の裏には、実際に名前を持つ化学成分が存在しています。香り成分を知ることで、ただの印象がより立体的に理解できるようになり、味わい方が深まります。

そして何より、その一杯に込められた手間や工夫——栽培、精製、焙煎、抽出——すべてが複雑な香りを生み出すために重ねられていることに、少しずつ気づいていくはずです。