2025/05/12 15:42

はじめに:イエスタードプロセスとは何か?

「イエスタードプロセス(Yeastard Process)」とは、コーヒーの発酵工程において、特定の酵母(イースト=Yeast)を意図的に添加する精製手法です。名称は「Yeast(酵母)」と「Standard(標準)」を組み合わせた造語で、一般的な精製法の名称ではなく、一部の生産者・業者によって使われ始めた比較的新しい表現です。

ワインやビール造りで培われた酵母の制御技術を応用し、精密なフレーバーデザインを目指す点が特徴です。

従来のコーヒー精製では、果肉除去後にミューシレージを分解する過程を、自然界に存在する微生物(野生酵母や乳酸菌)に任せることが主流でした。しかし、自然環境に左右されやすく、再現性に欠けるという課題がありました。イエスタードプロセスはそれに対し、酵母を選択的に用いることで“狙った風味を安定して引き出す”という、新しいアプローチです。


特徴:酵母添加による精密なフレーバーデザイン

イエスタードプロセスでは、発酵過程であらかじめ選ばれた酵母を投入します。たとえば、果実系の香りを引き出す酵母、乳酸的な質感を持たせる酵母、発泡感を生む酵母など、目的に応じて使い分けることができます。

使用される酵母の一例には、ワイン醸造で用いられる《サッカロマイセス・セレビシエ》があり、トロピカルフルーツや赤い果実のような風味を作り出すことができます。

また、発酵温度や時間も人為的に管理することで、自然条件に頼らずに一定のクオリティを保つことが可能になります。偶然に任せていた発酵を、計算可能な工程へと変えるのがこの手法の特徴です。


生産者・ロースターのメリット

● ロットごとの再現性が高い
自然発酵と違い、外部環境の変化(標高・気温・微生物分布など)に左右されにくく、安定したフレーバーが得られます。

● 収益性の向上
カッピングで高評価を得やすい明確な香味特性が出せるため、プレミアム市場での価格形成が期待できます。

● 発酵リスクの軽減
不確実な野生発酵と比べて、欠点豆や過発酵のリスクが軽減されます。熟練度の低い労働者でも管理しやすいという利点もあります。


現場の課題とリスク

● コストと設備投資
市販の酵母菌株はコーヒー専用品が少なく、ワイン酵母などの応用が多いためコストがかかります。また、温度制御や密閉タンクといった設備も必要です。

● 技術格差
菌の選定や投入量、糖度やpH管理といった専門的知識が求められ、技術習得にはハードルがあります。

● 風味の均質化(没個性化)
酵母が強く香味に影響を与える場合、品種や産地の個性が埋もれることがあります。選定や運用を誤ると、どの産地の豆でも似た印象になってしまう可能性も。


他の発酵プロセスとの違い

イエスタードプロセスは、**アナエロビック(嫌気性発酵)ラティック(乳酸菌発酵)**と混同されがちですが、アプローチと目的に違いがあります。

  • アナエロビックファーメンテーション(Anaerobic Fermentation)
     密閉容器で酸素を遮断した状態で発酵を行う手法。野生酵母・乳酸菌・酢酸菌など自然由来の微生物による変化が中心。発酵が進みすぎるとバランスを崩しやすい。

  • ラティックプロセス(Lactic Fermentation)
     乳酸菌の発酵を促す手法で、ミルキーな質感や優しい酸味が特徴。酵母は関与しない場合もある。乳酸菌の活性にはpHや糖度の管理が不可欠。

  • イエスタードプロセス
     特定の酵母のみを用いて発酵を主導させる。香味を「狙って設計」できる点で他と一線を画します。目的に応じてアナエロビック環境と併用することもありますが、酵母が主役である点が最大の違いです。

このように、どの微生物を活用するか、どの程度人為的に管理するかによって、発酵プロセスは異なります。イエスタードプロセスはその中でも最も“意図を持って作る”精製であるといえるでしょう。


今後の可能性と展望

  • 地域ごとの微生物環境に合わせた酵母開発
     たとえば、ケニア特有のフルーティな酸を伸ばす酵母、ブラジルの柔らかさを補う酵母など、地域性との共存が今後の鍵になります。

  • デカフェとの相性
     デカフェは香味が淡くなる傾向がありますが、酵母発酵で風味を補完する研究も進んでいます。

  • 国内ロースターへの広がり
     一部の日本のロースターでも、マイクロロットや競技会用にこうしたプロセスの豆を取り扱う例が出てきています。再現性や香味設計という観点から、今後の採用が進む可能性があります。


おわりに:設計された発酵、設計する焙煎へ

イエスタードプロセスは、これまでの「自然に委ねる」発酵から、「狙って作る」発酵への転換を象徴しています。発酵によって香味の骨格が決まり、焙煎や抽出はその仕上げとなります。

豆を手に取るとき、その背後にあるプロセスを知っておくと、味わい方も変わってきます。イエスタードプロセスの豆を選ぶときは、その風味がどのように設計されているかを想像しながら楽しんでみてはいかがでしょうか。