2025/05/17 18:24

「土地の味」とは、どこまでが自然で、どこからが人の技術なのでしょうか?
スペシャルティコーヒーの世界でたびたび登場する「テロワール」という言葉。今回は、コーヒーにおけるテロワールの意味と、その言葉の裏にある本質について掘り下げてみました。


スペシャルティコーヒーの世界で、よく耳にする表現があります。イルガチェフェの花のような香り、ケニアのジューシーな酸、あるいはグアテマラのクリーンでココアのようなコク。そうした味わいが“その土地の個性”だとしたら、それがまさにテロワールだと考えられています。

でも少し立ち止まって考えてみると、「テロワール」という言葉は本当に正確なのでしょうか。どこまでが自然の力で、どこからが人の技術なのか。その境界線は意外と曖昧です。この記事では、コーヒーにおけるテロワールとは何か、その意味と限界について考えてみたいと思います。


テロワールの原義と起源

テロワール(terroir)とは、フランス語で「土地」や「土壌」を意味する言葉です。もともとはワインの世界で使われ始めた概念で、土壌・気候・標高・地形など、その土地固有の自然環境が農作物の品質や風味に影響を与えるという考え方に基づいています。

ブドウの栽培においては、同じ品種でも育った場所によってワインの味がまったく異なることがあります。こうした現象を、科学的な分析だけではなく「土地の力」としてとらえ、テロワールという語が重んじられるようになったのです。


コーヒーにおけるテロワール

スペシャルティコーヒーの世界では、2000年代以降「テロワール」という言葉が広まりました。現在では、以下のような自然条件がテロワールを構成する要素とされています。

土壌

火山性土壌や粘土質、ミネラルの豊富さや水はけの良さなどが、樹の生育や豆の密度に影響します。

気候

年間の降水量、気温、乾季と雨季のバランス。収穫期の天候も味わいに直結します。

標高

高地ほど寒暖差があり、果実の成熟がゆっくりになり、糖度や酸がしっかりと出るとされます。

地形・方角

南向きの斜面で日照時間が長くなれば、熟度や収穫タイミングが変わります。

微生物環境

発酵に関与する自然酵母や菌類。ナチュラルやハニープロセスで特に重要です。

こうした要素が複雑に絡み合って、ある地域のコーヒーに特有の香味を生み出すと考えられています。これは感覚的な話だけではなく、近年は分析装置によって、地域ごとの揮発性香気成分の差異も徐々に明らかになってきました。


テロワールはどこまで“自然”なのか?

ただし、ここで一つの疑問が浮かびます。
「テロワール=自然の味」と言うわりには、**人の手による工程も味に強く影響しているのではないか?**ということです。

たとえば、同じ農園で同じ区画のコーヒーチェリーを使っても、ナチュラルとウォッシュトでは風味はまったく異なります。アナエロビック発酵では、果実味や酸の表現が大きく変化し、「土地よりもタンクの個性」が前に出ることすらあります。

乾燥方法や発酵環境、チェリーの選別の厳密さなど、生産者の技術は“風味の根本”を左右します。それをすべて「テロワール」と呼んでいいのか。テロワールという言葉の定義は、実はかなり曖昧なのです。


「その土地らしさ」は誰が決める?

もう一つ考えておきたいのは、味の評価は常に主観的だということです。

エチオピアのナチュラルにジャスミンを感じる人もいれば、熟したベリーやワイン香ととらえる人もいます。ケニアのSL品種に明るい酸を見出す人もいれば、トマトのようなうま味と表現する人もいる。
つまり、「土地の味=客観的な特徴」ではなく、私たちの言葉や経験がテロワールを形作っている側面もあるのです。

さらに言えば、ロースターやバリスタの焙煎・抽出によって、土地の個性が引き出されるかどうかも変わってきます。焙煎が深ければ酸は感じづらくなり、抽出がブレれば繊細な香りは隠れてしまいます。


テロワールという言葉の価値と限界

それでもなお、私はテロワールという言葉が持つ力を否定しません。
「土地によって味が違う」という考え方は、生産地に敬意を払い、コーヒーを農産物として捉えるうえでとても重要です。画一的な味ではなく、“その土地ならでは”の魅力に目を向けることで、豆の選び方も変わりますし、焙煎や抽出にも目的が生まれます。

ただし、テロワールはあくまで“ひとつの要素”でしかないということも、同時に認識しておくべきでしょう。風味は「土地+人の技術+評価者の感覚」によって作られている。その事実を忘れてしまうと、テロワールという言葉だけが一人歩きしてしまいます。


テロワールは問いかけである

コーヒーにおけるテロワールとは、「これはこの土地ならではの味だろうか?」と問いかける視点のことだと思います。味の違いを自然環境に結びつけ、そこに物語を見出す。その感性こそが、スペシャルティコーヒーの魅力の一つです。

もしこの記事を読んで、少しでも「土地の味ってなんだろう?」と感じていただけたら、ぜひいつもの一杯をゆっくり味わってみてください。そのコーヒーにも、知られざる“どこかの風景”が宿っているかもしれません。