2025/05/18 15:54
「カーボニックマセレーション(Carbonic Maceration)」という言葉は、もともとワイン造りに使われてきた技術です。直訳すれば「炭酸ガスによる浸軟(しんなん)」、つまり二酸化炭素の環境で果実を浸してやわらかくするという意味になります。この手法が近年、スペシャルティコーヒーの世界でも活用されはじめました。
密閉容器にコーヒーチェリーをそのまま入れ、二酸化炭素を導入して嫌気性発酵(酸素のない環境での発酵)を促す方法です。酸味、甘さ、香りを立体的にコントロールできるのが特徴で、世界中のロースターや生産者が注目しています。
ワイン技術からコーヒーへ
この技術の起源はフランス・ボジョレー地方の赤ワイン造りにあります。房ごとのぶどうを潰さずに二酸化炭素で満たしたタンクに入れ、果実内部で自然に発酵させるという方法です。こうすることで、軽やかで果実味豊かなワインが生まれます。
このプロセスをコーヒーに応用したのがカーボニックマセレーション。
果皮つきのチェリーを密閉容器に入れ、酸素を排除してCO₂を注入します。酸素がない環境では、細胞の中で微生物による発酵が進み、これまでにない香味が引き出されるのです。
発酵が作り出す「狙った風味」
カーボニックマセレーションは、「偶然を待つ」発酵ではなく、「意図して設計する」発酵です。
二酸化炭素によって酸素が排除された環境では、チェリー内部で細胞内発酵と呼ばれるプロセスが進みます。ここで生まれるのが、エステル類や乳酸など、果実感や華やかさを支える香りの成分です。
たとえば、以下のような香味が典型的です:
イチゴやラズベリーのような赤系果実の香り
ピーチ、マンゴー、パッションフルーツのようなトロピカルな印象
明るくジューシーな酸味
滑らかで甘みのある口当たり
紅茶やワインのような香気
このような「多層的な香味」は、従来のウォッシュドやナチュラルでは得がたいものであり、カップを通して「果実であること」を再認識させてくれるような味わいになります。
他の精製法との違いは?
酸素を遮断するという点では、アナエロビックファーメンテーションと似ているように見えるかもしれません。しかし、カーボニックマセレーションはさらに一歩進んで、CO₂を外部から導入するという操作が加わることで、発酵のスピードや構成が大きく変わります。
他の精製法との比較を文章で紹介すると、以下のようになります:
ウォッシュド:果肉を取り除いた後に水洗・発酵。クリーンで酸が明瞭。
ナチュラル:果肉をつけたまま乾燥。甘さや複雑さ、時にワイルドな印象。
アナエロビック:果肉つきのまま密閉し、自然な嫌気性発酵。酸味が際立ちやすい。
カーボニックマセレーション:果肉つきのチェリーを密閉し、CO₂を導入して設計された発酵を進める。風味の「狙い撃ち」が可能。
こうして見ると、カーボニックマセレーションは発酵環境をコントロールし、香味を意図的に作り込める点が最大の魅力といえるでしょう。
「果汁のようなコーヒー」はコーヒーなのか?
この精製法で生まれるコーヒーは、時に「ジュースのよう」「ワインのよう」と表現されます。それだけでなく、「これまでのコーヒーとは違う飲み物のようだ」と感じる方も少なくありません。
それはつまり、私たちが「コーヒーらしさ」と呼んでいるものが何に由来しているのか、あらためて問い直す機会でもあります。
コーヒーはどこまで自由に味を設計していいのか?
自然な風味と人工的な設計の境目は?
私たちが求めている「コーヒーらしさ」とは何か?
カーボニックマセレーションは、その問いを一杯の中に内包している精製法でもあるのです。
おわりに
カーボニックマセレーション――炭酸ガスによる浸軟。
ワインの技術を応用したこの手法は、コーヒーの香味に新しい地平をもたらしました。
二酸化炭素によってコントロールされた発酵は、コーヒーが本来持っている果実としての魅力を、これまでにない角度から引き出してくれます。
その香味は、単なるトレンドではなく、「コーヒーとは何か」を見つめ直すきっかけになるかもしれません。
複雑で、華やかで、狙ってつくられた一杯を。
その裏側にある技術と意図を感じながら、ぜひ味わってみてください。